
どうして放送が聞こえるのか不思議で、自分でラジオを組み立てていたひとりの少年。彼はその頃の好奇心を持ったまま技術畑を歩み、世界一の技術開発をも手がけることに。「好き」という気持ちの積み重ねが導いた、定年後の充実ライフとは。
世界との競争で圧勝だった、 技術立国・ニッポンのパワー
数多くの技術者を抱える大企業NECで長年、圧電(素子トル)の研究を続け、2000年3月に出向先で定年を迎えた矢野さんは、昭和14年生まれの今年67歳。実年齢を聞いて驚くほどの肌つやの良さの秘密は、何よりも楽しく仕事を続けていられることにあると言います。
■日経メカニカル
■日刊工業新聞社
退職後、指導する側へと転身。 研究するうちに開けた、起業への道
世界の最先端を歩んだ矢野さんですが、技術者の常として、マネージャー的な視点には興味がなかったそう。定年退職後はのんびりと好きな技術研究をするつもりが、周囲から「起業すべき」との声が沸きあがります。
矢野: 定年退職した時に樋口先生のところへ挨拶にうかがったら、東大の工学部に机を作ってくれたんです。学生の面倒を見たり(その中の一人は現在社員)、当時あった「プリ・ベンチャー」という大学初の新事業の立ち上げをお手伝いしたり。そのベンチャー企業に関わる予定だったのですが、企業としてちゃんと運営したいというプリ・ベンチャーのリーダーと喧嘩してしまったんです(笑)。私は「好きな技術研究をしながら、社会貢献もできればいいなあ」とイメージしていましたので、実はビジネス的なことをやるつもりは余りなかったんです。 ところが、樋口先生のところに企業から持ち込まれる課題に取り組んでいるうちに、どんどん実用方向にシフトしていくんです。「パンチングマシーン作りましょう」「エアバルブやりましょう」などの声にお応えしているうちに関連するメーカーが製品を出すことになり、だんだん遊びではすまなくなってきたんです。きちんとした会社の形でやらなければならない雰囲気になってしまって。樋口先生から「圧電素子応用には将来性があるから会社を興すべき」と助言いただいたこともあり、起業することになりました。想像だにしなかった起業、そして社長へと第二の人生の舵をきった矢野さん。あれこれと試行錯誤しながら、会社としてのかたちを徐々に整えていきます。
■かわさき新産業センター前で3人の社員と
■かわさき新産業センター
60歳までは、人生の準備段階? 今が本番と思える、充実仕事ライフ
定年前に思い描いていた「定年後の姿」とは、まったく違うものとなった矢野さんのセカンドライフ。仕事にも趣味にも全力投球の毎日で、やりたいことを120%満喫できているようです。
矢野: かつてはね、60歳までが本番であとは余生じゃないかと考えていたんです。でも今はまったく違う。今が本番なんですよ。会社に属していると、どうしても歯車の一部ですから自分の思うとおりにはできない。今は自分のやりたいことしかやらないですから。ひょっとすると、60歳までは現人生の準備段階だったんじゃないかと思うくらいに楽しいですね(笑)。最近何かで見たんですが、日本では「シルバーエイジ」と言われる60代の人って、アメリカでは「ゴールデンエイジ」と言われるんだそうです。子供たちは独立しているから責任はないし、年金があるから生活費の心配もない。経験があるし、人脈もある。やる気さえあれば、いちばんやりやすい時期なんだ、と。その通りだと思いますね。20年前だったら僕もあれこれ考えてしまって起業なんてできなかったと思います。60歳になっているからこそできることってあるんですよ。 会社を始めるにあたって家族には相談せず、事後承諾でした。女房は諦めてますね、いつもあなたは相談してくれない、と言って(笑)。だけど後で説得して取締役になってもらいました。女房は山と花が好きだから土日はアウトドアライフを満喫しているし、私は鎌倉の市民オーケストラでコントラバスを弾いているから、生活のすべては「自分がやりたいこと、好きなこと」で成立している。オケでは頭をぱっと音楽モードに切り替えるんですが、こうやって別のことに集中する時間って、技術研究にもいい影響をもたらしてくれるんです。 今になって思い返してみると、NECに在籍していた50歳前後には、ずっと技術と対峙している自分のあり方に疑問をもったこともあったんです。同期の仲間は管理職、事業部長クラスになっていく中で、自分は技術畑一辺倒でいいのだろうか、と。そんな時に新聞で読んだ徒然草の一節に救われたこともありましたね(※画像あり)。でも、今、当時の仲間はほとんど仕事していないんですよ。会うと「まだ仕事してるの?」「何やってるの?」って言われます(笑)。






