
サラリーマンとして勤務しながらも、かつて抱いた夢を失わなかった情熱家。彼は、会社の早期退職制度を利用して新たな生活をスタートさせる。それは、子供と真の信頼関係が築ける「特別な塾」だった。
学生時代に芽生えた教育者への夢を見続けながら
技術者として開発事業に取り組む日々
野村さんは、昭和27年生まれの団塊第二世代。通常ならばまだ現役サラリーマンとして企業に勤めている年齢ながら、夢を実現するため、早期退職制度を利用して第二の人生をスタートさせた方です。高専を卒業後は技術畑一本で電化製品の開発に従事し、また新規事業の立ち上げを最前線で見守っていた野村さんが、現在の仕事「少人数指導塾」を開くまでの道のりを語ってくれました。

■三洋電機時代
その後、サラリーマンをしていた時ですが、姉に頼まれまして姪に勉強を教えることになったんです。次に甥も教えたら、それが友達連れてきて…って、だんだん増えてきたんですよね。そこで、東武伊勢崎線の世良田駅近くに場所を借りて教えることにしたんです。当時は小学校高学年から中学校3年まで、中学生は5科目です。私の苦手な科目もあるんですけど(笑)。三洋電機は「週末残業ゼロの日」というのがありまして、金曜日は絶対残業がないので、週末はだいたい授業をしてましたね。金・土・日と三日間教えられるんです。会社の仕事で疲れたなーと思っても、不思議なことに、子供たちに教えていると元気が出ちゃうんですねえ。やはり子供を育てるというのは面白いじゃないですか。それに、「先生、先生」って子供たちが寄ってくるのが嬉しい。ええ、それが一番だと思いますよ。最初の教え子が35歳になりますが、いまだに「元気にやってます」とか、「先生、引越ししましたよ!」なんて言ってくる。嬉しいものですよね。
仕事は充実していたけれど、人間関係がネックに。
第二の人生へと転身を考え始めた40代
平日はサラリーマンとして、週末は塾の先生として二足の草鞋生活を送っていた野村さん。仕事そのものも楽しんではいたけれど、人間関係の壁に当たり、次第に辞めたいという気持ちが高まってきたそう。苦しい胸中の野村さんを支えたのは、塾の仕事への情熱、そして仲間と打ち込む趣味の世界でした。
野村: 会社では、小型エアコン関連の仕事をしていました。機種設計もしますし、性能アップのための実験もしましたよ。たとえば送風機。風を送るシステムの性能を上げると、エアコンの効率が飛躍的に上がるんですよ。そんな研究をしていたんですが、ある時、環境が変わって居心地が悪くなってしまうんです。

■三洋電機テニス部にて

■研究から営業まで携わった三洋電機時代
そんな生活を送りつつも、会社への往復電車の中で、英語の参考書を読んだりもしていましたけどね。その後いろいろありまして、最終的に地元へ出向で帰ってきたんです。それが49歳の頃。女房との約束で「50歳になったら辞めていい」と言われていた、その年齢近くになったんです。
待ちに待った早期退職は、50歳の時。
計算し尽くして始めた、趣味一辺倒のセカンドライフ
一般的には、50歳でのリタイアはかなり早いほう。ですが、野村さんにとっては「待ちに待った早期退職」でした。退職金、雇用保険、夫婦ふたりでのヴァカンス、そして念願の塾の仕事…きっちりと諸条件を計算した第二の人生は、順調な滑り出しだったようです。

■奥様と、ニュージーランドにて
塾をこの場所で始めてから約3年。もともと、この近くの旧境町出身なんですが、いちばん長く住んだのは木崎という場所で、20年ほどいましたね。木崎では町内会の役員やったり、選挙も地元のために一生懸命やったりして、とても忙しかったけれど仲間がいっぱいできました。その後、こちらに移ってきたのが7年前です。最初は地元の方との付き合いもないし、寂しかったですね。ところが、会社を辞めた4年前、順番によって隣組長になりました。まだ塾を開く前。地元の行事を行ううちにご近所に知り合いができましてね、溶け込むようになりました。
第二の人生だから、やりたいように働く。
オリジナリティあふれる野村塾の方針
野村さんが立ち上げ、指導する塾MANABIでは、すべてがオリジナル。生徒や父兄との関係も、塾の月謝も、大資本の塾とはまったく違ったものになっています。「雇われた」のではなく「自ら主宰する」塾だからこそ可能になった、ユニークな教育。ただの塾というより、地域に根ざしたコミュニティとして機能し始めています。

■MANABI

■MANABI教室
今、塾で教えているのは小学生・中学生がメイン。高校生は、前からうちに通ってて、大学進学を目指している子だけです。今の子供たちの置かれている状況は大変です。学校の先生にもいろんな方がいるし、いじめの問題もある。ゆとり教育だといって易しくしていた教科書が、――今年変わったんですが――基礎を学んだ状況から次の段階では急に難しくなったりする。あきらかにゆとり教育を短期間で無理に修正しようとしているんです。ですから、学校じゃない「場」が必要だなと強く思っているんですよね。
うちでは、本人が勉強したい、って言わないと教えないのがルールなんです。生徒には積極的に関わってほしいんですよね。それに、保護者の方にも協力していただく。一緒に育てていきましょう、という方針なんです。しかも、教えているのは私と女房と、ひとり雇っているアルバイトについても元教え子。ですから、ある意味、地元に密着したコミュニティができあがっているんですよ。中学3年生なんかには、「地元の大学に行ったら、俺のところでアルバイトしろ」なんて言ったりしてますよ。「時給2000円やるぞ!」ってね(笑)。おかげで「あとの勉強見てやっといてくれやー」「はーい」って、私はラクできるんですよ。もと教え子がいちばんいいですね、信頼関係ができてるから少しくらい怒っても平気だし、教え方もよくわかってくれてるし。
うちの塾のは料金は安いけれど、英語にものすごく力入れてますから、その点は他の塾とは時間のかけかたが違う。それに、まだ始めて3年とは言っても、昔教えていた頃を入れればすでに20年以上。まぁあれは、隠れ塾ですし(笑)、女房が家庭教師をやっているということで税務署に申告してやってましたけどね。本当は、20年以上の実績があるんです。だから、ここを始めた時も「前あそこで塾をやってた人がやるね」って言ってもらったし。最初は自転車でチラシ配って、去年まで配ったのかな。今年春からは来てる人に渡して、今はクチコミだけですね。今の生徒数は全部で53~54人。女房も小学生をちょっとだけ教えてまして、大学生のアルバイトは夜遅い時間に1時間半くらいやってもらってます。
特別なお金はいらないんですよ。中学3年生なんか、夏休み中の夏期講習1日4時間35日間も、全部月謝の内ですから。要するに、ボランティアみたいなもんですかね。うちは娘は英語の先生やってますし、息子も世界史の先生やって働いてますから、それほどお金は必要ないですからね。
仕事も趣味も、120パーセント満喫。
定年後だから楽しめる、夫婦揃っての趣味
会社を辞め、塾を始めてからもっとも変化を感じるのは、1日の時間帯と休みの割合。塾の開始時間が夕方からということもあって、夕食は早くても午後9時過ぎに。その分、昼間の時間を使って趣味のテニスや散歩を楽しまれているようです。また、以前は家族旅行が多かったという野村さんですが、学校の定期試験後に長めの休暇が取れるようになったことから、奥様とふたり、好きな山登りや海外旅行に出かけているとか。

■奥様と、今夢中になっている北海道にて
午前中はテニス行って、午後は散歩。三洋電機の元同僚とテニスをやるのが月・水で、あと前に住んでた木崎の人達とやるのが火曜日。テニスはハードだといいますが、80歳過ぎてやってる方もいますよ。
塾を始めてから、年に数回、定期休暇を設けてまして、まず部活が忙しくて勉強なんて集中できない時期、7月10日からだいたい1週間くらいを長期の休みに。それから、夏期講習が終わって9月の20日くらいまでの3日間。夏期講習は非常に疲れるんですよ、中学3年生を毎日4時間ずつ見るわけですから。あと12月末に冬季講習入る前に3日くらい休みをもらっています。高校入試の受験時期に3日間、「みんなが受験している間、俺は遊ぶ」って言って遊びに行っちゃって。受験が終わったら答え合わせして、受かってるかどうかを判定してあげるんですよ。だから、この塾をやっているのは趣味みたいなもの。子供を育てる趣味。お金はあまりいらないですね。






