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エール ~インタビュー~

野村昇平さんタイトルサラリーマンとして勤務しながらも、かつて抱いた夢を失わなかった情熱家。彼は、会社の早期退職制度を利用して新たな生活をスタートさせる。それは、子供と真の信頼関係が築ける「特別な塾」だった。

学生時代に芽生えた教育者への夢を見続けながら
技術者として開発事業に取り組む日々


野村さんは、昭和27年生まれの団塊第二世代。通常ならばまだ現役サラリーマンとして企業に勤めている年齢ながら、夢を実現するため、早期退職制度を利用して第二の人生をスタートさせた方です。高専を卒業後は技術畑一本で電化製品の開発に従事し、また新規事業の立ち上げを最前線で見守っていた野村さんが、現在の仕事「少人数指導塾」を開くまでの道のりを語ってくれました。


三洋電機時代

■三洋電機時代


野村: さかのぼれば高校時代になるんですが…実は、群馬工業高等専門学校に入学した時点で「道を間違った」と思ったんですよ(笑)。高専ではバレーボール部に入るんですが、ネットが全日本と同じ2m43cmもありまして、私は背が小さいので全くダメだ、と辞めてしまいました。とはいえバレーボールは好きでしたから、そうだ、後進の指導に行こうと思って母校の中学に行って教える側にまわったんですね。そうしたら、アレッと思うわけです。「高専に進むよりも、先生になりたかったなあ」という気持ちが生まれていたんですよ。かといって、高専を辞めて高校卒業の資格を取ってから大学を受けるのは、勉強内容がガラリと変わってしまうから大変です。高校を卒業してから改めて勉強する、っていう方法もありますが、かなり遠回りになるんですよね。そこで、度胸もなかったものですからそのまま高専を卒業しまして、三洋電機に入ったんです。ですから、バレーボールの指導をして「教えるのって面白いなー」と思ったのが、教育に興味をもった最初かもしれませんね。まあ、もしあのまま先生になっていたら、私は熱いところがあって曲がったことが嫌いだから(笑)、先生同士でモメたりしていたかもしれませんけどね(笑)。

 その後、サラリーマンをしていた時ですが、姉に頼まれまして姪に勉強を教えることになったんです。次に甥も教えたら、それが友達連れてきて…って、だんだん増えてきたんですよね。そこで、東武伊勢崎線の世良田駅近くに場所を借りて教えることにしたんです。当時は小学校高学年から中学校3年まで、中学生は5科目です。私の苦手な科目もあるんですけど(笑)。三洋電機は「週末残業ゼロの日」というのがありまして、金曜日は絶対残業がないので、週末はだいたい授業をしてましたね。金・土・日と三日間教えられるんです。会社の仕事で疲れたなーと思っても、不思議なことに、子供たちに教えていると元気が出ちゃうんですねえ。やはり子供を育てるというのは面白いじゃないですか。それに、「先生、先生」って子供たちが寄ってくるのが嬉しい。ええ、それが一番だと思いますよ。最初の教え子が35歳になりますが、いまだに「元気にやってます」とか、「先生、引越ししましたよ!」なんて言ってくる。嬉しいものですよね。

仕事は充実していたけれど、人間関係がネックに。
第二の人生へと転身を考え始めた40代


平日はサラリーマンとして、週末は塾の先生として二足の草鞋生活を送っていた野村さん。仕事そのものも楽しんではいたけれど、人間関係の壁に当たり、次第に辞めたいという気持ちが高まってきたそう。苦しい胸中の野村さんを支えたのは、塾の仕事への情熱、そして仲間と打ち込む趣味の世界でした。


野村: 会社では、小型エアコン関連の仕事をしていました。機種設計もしますし、性能アップのための実験もしましたよ。たとえば送風機。風を送るシステムの性能を上げると、エアコンの効率が飛躍的に上がるんですよ。そんな研究をしていたんですが、ある時、環境が変わって居心地が悪くなってしまうんです。

三洋電機テニス部にて

■三洋電機テニス部にて


 当時、私を可愛がってくれていた上司がうつ病で休職し、その後退職してしまったんですよ。その方がいなくなってから、どうも、会社の上の人間とうまくいかなくなりまして。仕事そのものは楽しかったのでしばらくは我慢していたんですが、いよいよもう…という状態になりました。その頃の私は、もう会社を辞めたくてうつ病になりそうだったんですよ。克服法は、テニス。ほら、疲れるとちいさいことを考えなくなるじゃないですか(笑)。そして、40歳をちょっとすぎた頃、「塾やっちゃおうかと思って」と、女房に会社を辞める相談をしたんです。ところが「子供たちが独り立ちするまではダメ」と反対されまして、とりあえずは塾の夢を諦めました。

研究から営業まで携わった三洋電機時代

■研究から営業まで携わった三洋電機時代


 そこで会社員を続けるなら前向きに、とエアコンに見切りをつけまして、違う事業部へ引っ張ってもらったんです。それが43歳の時かな。ソーライトという、光を取り入れる機械の新規事業に移りました。その事業が撤退で空中分解しましたので、その後は東京で、GHPガスエンジンヒートポンプという設備系の冷暖房の内勤営業をしました。その時期も塾は少しやっておりました、預かっている子供たちがいましたからね。新しい生徒さんは受け入れず、その学年を卒業させて終わりにしましたが。新幹線で東京から2時間半くらいかかりましたので、時間的にかなりムリだったんです。

 そんな生活を送りつつも、会社への往復電車の中で、英語の参考書を読んだりもしていましたけどね。その後いろいろありまして、最終的に地元へ出向で帰ってきたんです。それが49歳の頃。女房との約束で「50歳になったら辞めていい」と言われていた、その年齢近くになったんです。

待ちに待った早期退職は、50歳の時。
計算し尽くして始めた、趣味一辺倒のセカンドライフ


一般的には、50歳でのリタイアはかなり早いほう。ですが、野村さんにとっては「待ちに待った早期退職」でした。退職金、雇用保険、夫婦ふたりでのヴァカンス、そして念願の塾の仕事…きっちりと諸条件を計算した第二の人生は、順調な滑り出しだったようです。


奥様と、ニュージーランドにて

■奥様と、ニュージーランドにて


 三洋電機には、50歳になると定年退職扱いになるという制度があるんです。しかも、肩を叩かれた場合は退職支援金っていうのももらえるんですよ。事業部の方から「九州か大阪の営業に行くか、それとも退職支援金もらって辞めるかどちちにしますか」と言われたんで、「わー、いい話がきた!」って飛びついて辞めることにしたんです。実は、うまくその波に乗れないかなって待ってたんですよね。それが50歳の時。それで、退職金も支援金もいただき、一応ハローワークに通いながらしばらく様子を見たんです。雇用保険って自己都合だと辞めて3ヵ月後から支給なんですが、会社都合なら1ヶ月後からもらえるんですよ。私は「近畿支店へ異動を命ずる」という辞令を持っていましたのでハローワークの方に相談したら、1ヶ月後からすぐもらえますよ、と。そして最後の雇用保険をいただいてすぐに、塾開設の準備を始めたんです。それが10月下旬だったんですが、年内には塾の建物がほぼできあがっていました。ビラも自分で配りましたよ。そして、その最後の雇用保険をもらったその日にニュージーランド旅行に行ったんです(笑)、夕方の便だから、もらったその足で飛び立った。

 塾をこの場所で始めてから約3年。もともと、この近くの旧境町出身なんですが、いちばん長く住んだのは木崎という場所で、20年ほどいましたね。木崎では町内会の役員やったり、選挙も地元のために一生懸命やったりして、とても忙しかったけれど仲間がいっぱいできました。その後、こちらに移ってきたのが7年前です。最初は地元の方との付き合いもないし、寂しかったですね。ところが、会社を辞めた4年前、順番によって隣組長になりました。まだ塾を開く前。地元の行事を行ううちにご近所に知り合いができましてね、溶け込むようになりました。

第二の人生だから、やりたいように働く。
オリジナリティあふれる野村塾の方針


野村さんが立ち上げ、指導する塾MANABIでは、すべてがオリジナル。生徒や父兄との関係も、塾の月謝も、大資本の塾とはまったく違ったものになっています。「雇われた」のではなく「自ら主宰する」塾だからこそ可能になった、ユニークな教育。ただの塾というより、地域に根ざしたコミュニティとして機能し始めています。


MANABI

■MANABI


MANABI

■MANABI教室


 教え始めた頃でも、中学生くらいの教科を教えるのは簡単だったんですよ。さすがに英語だけは、ちょっと学力落ちてたんで、やり直して思い出しましたけどね。でも、最初は教えるのが下手だったから、情熱で教えていた部分も大きかったと思いますよ。やはり教えるテクニックを身につけるのには時間かかりました。

 今、塾で教えているのは小学生・中学生がメイン。高校生は、前からうちに通ってて、大学進学を目指している子だけです。今の子供たちの置かれている状況は大変です。学校の先生にもいろんな方がいるし、いじめの問題もある。ゆとり教育だといって易しくしていた教科書が、――今年変わったんですが――基礎を学んだ状況から次の段階では急に難しくなったりする。あきらかにゆとり教育を短期間で無理に修正しようとしているんです。ですから、学校じゃない「場」が必要だなと強く思っているんですよね。

 うちでは、本人が勉強したい、って言わないと教えないのがルールなんです。生徒には積極的に関わってほしいんですよね。それに、保護者の方にも協力していただく。一緒に育てていきましょう、という方針なんです。しかも、教えているのは私と女房と、ひとり雇っているアルバイトについても元教え子。ですから、ある意味、地元に密着したコミュニティができあがっているんですよ。中学3年生なんかには、「地元の大学に行ったら、俺のところでアルバイトしろ」なんて言ったりしてますよ。「時給2000円やるぞ!」ってね(笑)。おかげで「あとの勉強見てやっといてくれやー」「はーい」って、私はラクできるんですよ。もと教え子がいちばんいいですね、信頼関係ができてるから少しくらい怒っても平気だし、教え方もよくわかってくれてるし。

 うちの塾のは料金は安いけれど、英語にものすごく力入れてますから、その点は他の塾とは時間のかけかたが違う。それに、まだ始めて3年とは言っても、昔教えていた頃を入れればすでに20年以上。まぁあれは、隠れ塾ですし(笑)、女房が家庭教師をやっているということで税務署に申告してやってましたけどね。本当は、20年以上の実績があるんです。だから、ここを始めた時も「前あそこで塾をやってた人がやるね」って言ってもらったし。最初は自転車でチラシ配って、去年まで配ったのかな。今年春からは来てる人に渡して、今はクチコミだけですね。今の生徒数は全部で53~54人。女房も小学生をちょっとだけ教えてまして、大学生のアルバイトは夜遅い時間に1時間半くらいやってもらってます。

 特別なお金はいらないんですよ。中学3年生なんか、夏休み中の夏期講習1日4時間35日間も、全部月謝の内ですから。要するに、ボランティアみたいなもんですかね。うちは娘は英語の先生やってますし、息子も世界史の先生やって働いてますから、それほどお金は必要ないですからね。

仕事も趣味も、120パーセント満喫。
定年後だから楽しめる、夫婦揃っての趣味


会社を辞め、塾を始めてからもっとも変化を感じるのは、1日の時間帯と休みの割合。塾の開始時間が夕方からということもあって、夕食は早くても午後9時過ぎに。その分、昼間の時間を使って趣味のテニスや散歩を楽しまれているようです。また、以前は家族旅行が多かったという野村さんですが、学校の定期試験後に長めの休暇が取れるようになったことから、奥様とふたり、好きな山登りや海外旅行に出かけているとか。


奥様と、今夢中になっている北海道にて

■奥様と、今夢中になっている北海道にて


 この辺りは、とてもいい環境ですよ。ですからよく散歩をするんです。山登りのための体力づくりになりますしね。山登りは女房と一緒に。この間も、尾瀬に行ってきたんですよ。最近は北海道にはまっていて、大雪山の旭岳と黒岳を縦走しました。いいかげん疲れましたね。12キロありましたかもうヘロヘロでした(笑)。

 午前中はテニス行って、午後は散歩。三洋電機の元同僚とテニスをやるのが月・水で、あと前に住んでた木崎の人達とやるのが火曜日。テニスはハードだといいますが、80歳過ぎてやってる方もいますよ。

 塾を始めてから、年に数回、定期休暇を設けてまして、まず部活が忙しくて勉強なんて集中できない時期、7月10日からだいたい1週間くらいを長期の休みに。それから、夏期講習が終わって9月の20日くらいまでの3日間。夏期講習は非常に疲れるんですよ、中学3年生を毎日4時間ずつ見るわけですから。あと12月末に冬季講習入る前に3日くらい休みをもらっています。高校入試の受験時期に3日間、「みんなが受験している間、俺は遊ぶ」って言って遊びに行っちゃって。受験が終わったら答え合わせして、受かってるかどうかを判定してあげるんですよ。だから、この塾をやっているのは趣味みたいなもの。子供を育てる趣味。お金はあまりいらないですね。

プロフィール

MANABI

昭和27年生まれ。少人数の塾「MANABI」主宰。群馬工業高等専門学校卒業後、三洋電機に入社。エアコンの設計、性能アップのための開発研究に携わる。営業を経て、50歳で早期退職制度を利用してセカンドライフをスタート、小学生~高校生を対象とした少人数の塾を夫婦で営む。

会社概要

MANABI

群馬県太田市世良田町3108-4

TEL:0276-52-3732

団塊ワーカーへの10の質問

あなたにとって仕事とは何ですか?
あまりお金のかからない、子供を育てる趣味。

定年前の仕事と現在の仕事は関係ありますか?
ないです。

年齢を重ねた上で、新しい仕事を始めることの強みとは?
金額にこだわらずに始められること。うちの場合は建物さえあればよかった。

仕事をする一番の理由は何ですか?
生きがい。

現在の仕事はどうやって見つけましたか?
姉に頼まれて姪の勉強をみたのがきっかけ。

「定年後は仕事をしない」という選択肢も検討しましたか?
そういう気持ちになったことはない。以前から辞めたら塾を始めるつもりでいた。

現在の仕事はいつまで続けるつもりですか?
80歳まで。塾生には無理だといわれてるが(笑)

年齢を重ねていく上で、大変だと思うことは?
塾生の親御さんとの関係。年齢のギャップというより考え方の相違が問題のことが多い。

現在、生活のハリとなっているのは何ですか?
子供たちの成長。

これから定年を迎える人に、一言。
世の中のために本気でやろうと思えば何でもできる。塾を始めるなら、場所があって建物があって金額を安くし、情熱を持って指導すれば生徒は集まる。教える内容に不安があれば、もう一度自分で勉強し直せばいいだけ。