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エール ~インタビュー~

酒井治さん定年を決めるのは、自分自身。第二、第三の人生を謳歌。フリーのデザイナーとして音楽業界を牽引し、井上陽水から北島三郎までのジャケットを手がけてきた酒井さん。感性が要求される世界で、社会の変化に合わせて自らの仕事スタイルも進化させてきた。仕事も生活も常に100%でいたい、しなやかな団塊世代が、ここにいる。

音楽と共に歩むことで切り開いたデザイナーの道より、
自由になるために始めた誰よりも早い第二の人生。


昭和42年、ユニバーサルミュージック株式会社、当時は名称「日本グラモフォン株式会社」の宣伝部編集課に就職。酒井さんと音楽との深い関わりをスタートさせたきっかけだったといいます。昭和19年、終戦直前の静岡県で生まれた氏は、その後上京し、東京教育大学教育学部で芸術学科絵画を専攻。大学卒業後、自身の作品世界を追求するファイン・アートの世界からいきなりコマーシャル・アートの世界に身を投じることとなります。そして、当時、画期的な変革をしていたニューミュージック、引き継ぐアイドル全盛時代の日本音楽界の中で、デザイナーとしての地位を確立していったのです。


ジャケ写
酒井: 当時はまだデザインなんて言葉があまり使われることがなかったので、グラモフォンの宣伝部編集課というのが、僕が最初に仕事を始めた場所。新しい文字やビジュアルイメージを取り組むのも早くて、文化の潮流はまずレコードジャケットから登場することが多かったし、流行のもっとも敏感な部分を担っていたんじゃないかな。LPの315mm角というサイズは実際に魅力的な大きさだし、壁に掛けるとまるで絵画のようでしたね。その後、フリーランスとして独立。この会社を設立してから丸24年、ずっと音楽畑でやってきました。

 この会社を作ったきっかけは、それまで1人でやっていたけれど、音楽の好みごとにデザイナーが好きなジャンルのものをデザインする方がいいと思ったこと。ちょうど3年目にあたる頃、言葉で営業するよりまず見ていただこうと考えて、うちで制作したレコードジャケットを集めたブックレットを作って配布したんです。それがカタログとしての効果があったようで、どんなジャンルでも「ソープ」に発注すればいいキャスティングができて、いいパッケージができるよという評判をいただき、ずいぶん仕事の幅が広がりましたね。一番多い時期でデザイナーが8人。メーカー内にデザイン部があることを考えると、音楽関係のみの仕事でこの規模はかなり大きい。CMよりは音楽に関わることがしたいという気持ちもあったし、当時はタレントや音楽ディレクターや宣伝、営業担当者と白熱した議論をしてデザイン制作をしていたような気がします。そんな中で、若くていいデザイナーが出てきて、どんどん伸びていってくれたらいいな~と思っていましたね。

 確かに、ちょうど広告代理店が成長してきた時代だったし、コマーシャル・アートの世界も激変してきて、同業者のギャラもすごく上がってきたんです。先輩からは「お前もレコードジャケットなんか作ってないで、代理店に入れよ」なんて言われたりもしましたけど、広告をやって、美味しくもないものを美味しいって言わなければならないのは、どうしてもできなかった…。それよりも、音楽を作っているミュージシャン、プロデューサー、そしてディレクターたちが夢を追って音作りをしているところに自分も参画していたかったし、そういうのが好きだったんでしょうね。  

年齢を重ねるにつれて、趣向が変化。
自然の流れが与えてくれた新境地とは?


酒井: 80年代初頭に全盛期を迎えるアイドル時代も、それなりに面白かったですよ。 制作者と作戦的なことを考えたり、「あの子の良さは、どんな風にしたら伝わるんだろう?」とか、「この子にはどういったメッセージを言わせたらいいんだろう?」なんて、コンセプトに関する議論はずいぶんしましたね。必ずしも全てが成功したわけではいないけれど、キャッチコピーを考えたり、戦略まで含めて関わったことは楽しかったです。今見ると「下手くそ~!」って思うものも多いですけどね(笑)。

70年代前半から始まったフォーク&ニューミュージックのブーム。そして和製ロックの台頭。また一方で、アイドル産業の隆興は、酒井さんの関わる仕事にも大きく影響を表したようです。かつての名作と言われるアルバムには、中身の音楽とジャケットが連動するように、ひと目みると音を思い起こさせるものが多かったが…。


ジャケ写
酒井: 音楽関係の仕事がだんだんビジネスライクになっていった頃から、レコードジャケット自体のデザインの在り方も変わってきてしまいましたね。デザイナーの個性を前面に出して、デザイナーの作品集みたいになっていった時代があったんですよ。

 ミュージシャンのテイストと合ったものなら良かったんですが、同じイメージのイラストをさまざまなアルバムに乱用するのは、どうしても僕は許せなかった。自分が仕事をする時は、同じ手法を別のアーティストには絶対使いたくなかったし、決してやらなかった。

 ところがある時代、どんな仕事も自分流にしかやらないデザイナーが出てきたんです。例えば、クジラの缶詰にマグロの絵を描いちゃいけないと思うわけ。パッケージって、中身を予感させるものでないといけないし、間違ったイメージを与えるのは良くないですよね。そんな中でも、ちゃんとこだわりがあるミュージシャンがすごく厳密に仕事をしていたし、そういった自己主張って素敵だよね。


ジャケ写
 僕が今のように演歌やアダルト・ミュージック系のミュージシャンの仕事を手掛けるようになったのは、もんた&ブラザーズのジャケットをやったことがきっかけ。 それまでにも石川さゆりさんやマルシアさんといった人たちとはご一緒したこともあったけれど、もんたさんの所属していた北島音楽事務所から連絡をいただいたんです。

 ちょうど今から20年前。その頃はまったく演歌とか聞いたことなかったですし、「演歌のジャケットなんて無理!」って最初は思いましたよ。北島三郎さんの25周年記念のパンフレットを作るからと依頼があったんですが、当時の演歌のジャケットと言えば、写真がバーンとあって金赤の文字でタイトルが入っているイメージだったので、「僕がやったら“SABURO”とかローマ字のパンフレットにするかもしれないですよ」と言った。ところが「そういう提案がほしいんだ」とおっしゃって下さったんです。

 僕は音楽は世代のものだという考えを持っています。だから、自分もだんだん歳を取ってきて、自分が分からない若者文化や音楽を一所懸命解釈して仕事するよりも、同世代に分かりやすい音楽の仕事をした方がいいと思ったんです。自分がいいと思わないものに味つけして提供するのは、お客さんに対しても失礼ですしね。堀内孝雄さんなどニューミュージックの人たちが、年齢を経てアダルト・ミュージックへと移行していった…。年齢と共に聞く音楽も変わるのが自然の流れだと思うので、北島さんのお仕事もその延長であると。その頃から仕事の内容が変わってきたと思います。

 今は北島事務所の方々 や天童よしみさん前川清さんのお仕事をさせていただいてますが、皆さんのバイタリティには驚かされてばかり。特に北島さんの場合、一年のうち4ヶ月はご自身の演出による特別公演。その合間を縫って原譲二というペンネームで作詞作曲をし、年に3~5作のシングルを発売しているんですよ。本当にすごいなって思いますね。

「個」に立ち戻るための再出発。
自分の創作意欲をスターティングポイントにしたい。


酒井: 仕事がつまらないと感じ始めたのは10年ほど前。かつては、レコード産業はひとつの文化事業というプライドがあったんです。制作担当者がいいと思えば、利益が出るか出ないかのスレスレでも発売していった。それを支えていたのは、いいものを世の中に普及させたい、という意欲でした。そんな純粋なメーカーで育った自分の原点みたいなものは何だったのかな?というのを、一度仕事から離れて考え直してみたいですね。それで会社をたたむことを決意したんですが、仕事はもうしないなんて言ったりもしているけど、きっとまたやるのかもしれないし(笑)。引き留めてくれるのは、 フリーランスのデザイナーとしては嬉しいことだけど、これからは自分の好きなものにこだわって、納得して仕事をしていきたいですね。それにここ2、3年、世間的にも存在価値のあることをしたいとも思ってますし。

学生時代、油絵を専攻していた酒井さん。デザイナーという職業柄か、文字の世界にも興味があって始めた趣味の篆刻も、これから続けていきたいことのひとつだとか。


篆刻
酒井: 「できたらいいな」という可能性をこれからは追求したい。絵を描きたいとういう欲もあるし、趣味の篆刻もやり始めて2年。絵本作りもしたいとも思ってます。とにかく種々雑多な興味があるんでね。自分の欲求を追求する時代があり、若い人を育てる時代もあった。カッコ良く言うと(笑)、これからはもう一度「自分に立ち返る」というのが、これからの人生のテーマかな。人のことを気にせず、自分の表現したいことだけ考えてね(笑)。何しろコマーシャルアートっていうのは、テーマが自分の中にはないものなのね。それは、商品をどうやって売るかということだから、相手から与えられるもので何かを作る仕事じゃないですか。だからこそ、今は一から全部「自分」でやってみたい…。僕には定年がないんですよ、フリーだから(笑)。ある意味苦しいけど、いい環境があって、自分が納得できれば、いつまでだって仕事ができる。それを今度は、会社単位でなく、あくまでも「個人」としてやっていきたいです。

プロフィール

株式会社ソープ

代表取締役 酒井 治

アート・ディレクター、デザイナー。1944年、静岡県生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)教育学部芸術学科卒。67年、日本グラモフォン(後のポリドール、現在ユニバーサル)入社。72年、ポリドール・クリエイティブ・センター(PPC)設立に参加。78年に独立してサカイデザインルーム、さらに82年にソープ(SOAP)を設立し現在に至る。

会社概要

株式会社ソープ

〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-2-1 北国ビル4F

TEL:03-3400-3513

FAX:03-3406-6697

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