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エール ~インタビュー~

石井清堅さん偶然が重なり、64歳で社長に。夢膨らませる“水ビジネス
大企業で営業畑を歩み、数カ国の海外赴任を経験。子会社の社長も歴任し活躍してきた石井さんだが、ひょんなきっかけで定年後に起業。仲間と夢を膨らませるのは、これまでにないミネラルウォーターのビジネス。人にも環境にも優しい水を巡る、チャレンジとは。

ドラマチックではないけど。
第二の人生の始まりは、ひょんな縁が生んだ「水」との出合いから


昭和15年の辰年生まれ。もうすぐ66歳と6カ月になる石井清堅さんは、いわゆる団塊の走り。昭和20年生まれの奥様と、団塊Jr.真っ只中に生まれたお嬢様とその下のご子息を家族に持つ、この世代を深く知る存在です。2004年まで東レ株式会社に在籍し、数カ国におよぶ海外赴任を経験。子会社の社長を歴任し陣頭指揮を取るなど、営業畑を邁進してきたという石井さん。定年後、現在社長を務める(株)シマニシ科研を興すことになったのは、思いもよらない縁がきっかけでした。


東レ時代

■東レ時代


石井: シマニシ科研という会社は、もともと大阪大学理学部出身の研究者、嶋西淺男先生が始められた会社なんですね。今でこそ身体のために控えていますが、東レ時代の私は毎晩飲み歩くほどの大酒飲み。当時、東レで「水関係」の仕事の責任者をしていましたので、シマニシ科研が作っていた「シーロマックス」によるミネラルウォーターのことを知り、二日酔いしないというこの水に深く興味を持ちまして、ヘビーユーザーになったんです。そんな頃、阪大薬学部出身の友人からの縁で、嶋西先生に紹介してもらい、何度か遊びに行ったことがあるという関係だったんです。

 ところがある日、その友人を介して嶋西先生から駈け込むように連絡がきて、「今度、会社を清算することになった」とのこと。さまざまなトラブルがあっての話だったのですが、最終的に競売にかけられた福島の工場の落札に関わり、資金調達に一役買うことになりました。私としては、会社が潰れずに存続すればそのまま仕事も続けられるので、立派に利子を付けて返金していただけるだろうと思っていたんですが(笑)、当の先生は御歳75歳。そろそろ引退をしたいので、私に会社をやってくれないかと言うわけです。まぁ、ハメられたわけですね(笑)。

 そんなひょんなことから、私がこの工場のオーナーになってしまったんですよ。しかし当時はまだ東レの子会社の社長をやっていましたので、まさか兼務するわけにもいかず、私が東レを退職するまでという約束で、友人に会社の運営をお願いしました。それが2004年の4月2日の再スタート。シマニシ科研という名前は業界内ですでに知られた存在でしたので、呼び名が変わらぬように「株式会社」を頭に持ってくる形で社名を変更し、2年前、新しい体制を作って2代目の社長に納まりました。

 シーロマックスで作る水に大きな可能性があることは、自分でも飲んでいたのでわかっていました。人材については、本社勤務の4人は東レ時代の同僚やラグビー部時代の仲間です。福島工場の3人はたまたま前社時代に働いていたという人が再応募してきてくれたこともあって、職安に協力してもらいながら整えました。どうも、孤立した状況で思いのままに行動できる場所にいると、私は順調な人生を送れるようです。それもあって、この会社の話を嶋西先生にされた時は少し重いなと感じましたが、「私には適性があるだろうな」とは思いましたね。

会社の理想と自分の役割を冷静に判断。
目先の欲を追わないことが起業成功のカギ


石井: 我が社が扱っている商品「シーロマックス」は、阪大を卒業してから大企業で主に技術系の仕事をされてきた嶋西先生が、バーミキュライトという鉱石に非常に大きな関心を持ったことがきっかけで誕生したものです。バーミキュライトとは風化した花崗岩のこと。長らく無機化学の研究をしてきた嶋西先生は最初、原子炉から出る廃棄物を無害化する研究をしていたんですが、バーミキュライトに出合い、その中に含まれる黒雲母を溶かすことに成功。世界中で一番良質のバーミキュライトを産出する福島県に工場をかまえて、その黒雲母を液状化したものを「シーロマックス」という商標で販売するために、60歳にしてこの会社を起こすわけです。ある意味、ベンチャー起業家ですよね。なので、この会社は、ミネラルウォーターや無機肥料(ミネラル肥料)を作るためのシーロマックス原液を製造していますが、清涼飲料水メーカーでも肥料メーカーでもなく、「無機化学のメーカー」ということになります。

普通バーミキュライト自体は、街の園芸店などで「土壌改良材」として売られていて、加熱して水分を飛ばすと空気を含んだ軽い石になるので、それを土に混ぜると土の中に空気が入りやすくなり、土壌の改良材として非常に高い効果を発揮するのだとか。


石井: このバーミキュライトを「液状にして溶かした」というのがこの会社の存在意義であり、今のところ世界中でそれができるのは、この福島のプラントだけしかありません。小口販売はしていないので、顧客は農協や肥料販売業者が主。また、ミネラルウォーターを製造するメーカーなどになります。

 明治・大正期の農業は、「のつぼ」で完熟させた屎尿や、牛舎の敷き藁、大量の雑草や落ち葉を半年ほど積み重ねておいた有機完熟堆肥のみで行われていました。多種類の微量元素が畑に供給され、作物自体の免疫力で病害にも虫害にも耐えてきました。第一、農薬などどこにも売っていませんでしたから。大戦後、食料不足を補うため、日本の農業は、化学肥料、農薬浸けの農法に転化し、土壌は荒廃し野菜に含まれるビタミン・ミネラル類は、戦前のものの十分の1以下になっています。これではいくら野菜中心の食事をしたところで国民は慢性ミネラル栄養失調症に罹っています。ガン・糖尿・アトピーなどの激増の原因と考えています。

 会社の主張としては、時間も根気もかかるために昔ながらの農業をしようとする人が少ないなら、手っ取り早くミネラル分の多い水を摂取する。また、戦前の素晴らしい農業に戻すための足がかりとして、土壌を改良する微量要素液体肥料を普及させることから始めましょうというのが目標なんです。

 私はもともと営業畑の人間。この会社は技術や品質管理においては、嶋西先生が15年間しっかり築いてきたものがありましたので、一から新製品を開発しなければならないという苦労はない。最大のウイークポイントは営業力が皆無だったことなんです。あまりにもシーロマックスといった素材が素晴らしいものであったために研究にのめり込み過ぎた結果かもしれませんね。まず私がきてから行ったことは、営業の中心を肥料分野に据えたこと。日本農業の欠陥をちょうど補う形になったことも幸いしましたが、お陰様で売上げは上がってきています。

 私がこの会社を継いだのは何となくといった感がありますから、これから理想を持って起業して第二の人生を歩もうという人とは少々意味合いが違ってしまうかもしれません。ただ、やってみるとこの仕事が自分に合っているというのがあった。もちろん興味もあるものでしたが、 やはり起業するなら、「自分は何のために起業するのか?」をよく考えることが大事だし、退職金を増やしたいという程度のことなら手堅い投資信託でも買って、自分は働きに出たほうがいい。目先の欲のためにはやらないほうがいいでしょうね。

70歳からの新たな夢実現を目指して、
会社の成功と傷をつけない出口作戦の在り方


石井: ある理想を掲げて、誰もやっていないことを始めるという人は、たとえそれで全財産をなくしても後悔はしないはずです。しかし今まで「あれをやってみたかった」という重機で手打ち蕎麦屋さんやステーキハウスを経営したい人は、もう一度自分の武器を点検したほうがいいでしょうね。この世界で競争する相手は若いときから厳しい修行を積んできた玄人ですから、それに勝ちきる武器を持たなければ、ただの道楽です。昔から道楽には金がかかると言われてきました。起業する場合、安定したそれまでの生活を共にしてきた家族の理解も不可欠。生活水準を下げることにならないんだということを、いかに説得できるかが大事なんじゃないでしょうか。踏み切る時の心構えとして、私は家内に、大きなマンションを買った直後に震災にあって、その物件が無価値になるケースよりはましなんだからと説得しました(笑)。

地球誕生から45億年の歴史に比べれば、人類誕生150万年の歴史などは微々たるもの。「他人の命は無価値、自分の命は無限大」といったギャップの中で生きていると、 ひとり一人の人生で、本当に大変なことなどは何もないんじゃないだろうかと思うことがあるとか。自分の価値をいかに冷静に評価し、自分に問いながらあらゆることにトライしていく柔軟性。石井さんの原動力は、こういった価値観が作り上げているようです。


石井: 高校生の頃は、定年後はプルーストのようにたった一冊の本を書いて死のうなんてバカなことを考えていました。もしシマニシ科研を潰したら、「何故シマニシは潰れたか?」なんていう本を今は書こうかとは思ってます(笑)。この会社が順調にいって、自分が能力を発揮できる限りは続けるつもりでいますが、一応、70歳ぐらいまでには次のことをしようかとは考えています。自分と同世代の友人を見ると、好きが高じた植木職人、サラリーマン時代のノウハウを活かして大学の先生やアドバイザーに、中にはゴルフと釣り三昧という人もいる。自分分析してみると私の場合、小さい組織でありとあらゆる部分に目配りをきかせ、それを活性化させてひとつの目標に向かってオリエンテーションするというのが自分の取り柄。それが今の会社で活かされているけれど、第二の人生の在り方は人それぞれです。ただ、人間には出口作戦がないといけませんよ。起業された方が一番辛いのは、業績の停滞期で横這い状況であっても、人を雇っている限り毎月の給与支払いの義務がある。自分の資本がそれによってどんどん食いつぶされていく。そのことに耐えられるか、また、もう駄目だとなったときに会社にも従業員にも傷のつかない去り方は、ということを常に考えていますね。

 3年ほど前に、97歳で他界した母を見送ったんですが、それまでの間、私は6人兄弟だから分担しあえてよかったものの、これが最近のひとりっ子同士の結婚ともなれば、ふたりで4人の親の面倒を診なくてはいけなくなるわけですよね。それを考えた時、これからの老人は、若い人からの援助をたよりにしてはいけないというのを痛感しました。元気な老人が動けなくなった老人の面倒を診る。そして、経済的にも循環し、診る方も診られる方も快適という仕組みを今から考えていって、もし70歳くらいになってシマニシ科研が大儲けしていたら、それにお金を注ぎ込もうと思っているんです。ある意味、会社を食い物にするといいますか、道楽で中小企業をやっている奴の考えそうなことなんですけれども(笑)。税金対策にもなりますし、老々介護事業部をこの会社に付け加えたいと思っています。

 歳を取ってからは、気の合う仲間だけと暮らしたい。老人のわがままかもしれませんが若い人に頼らず、老人が自分でシステムを考えて、「ああ、こんなやり方もあったのか!」という小さなお手本を示せたら幸福ですね。悪知恵だけは充分あるわけですから。

プロフィール

株式会社シマニシ科研

代表取締役 石井 清堅

昭和15年の辰年生まれ。2004年まで東レ株式会社に在籍し数カ国に及ぶ海外赴任を経験。陣頭指揮で手腕を発揮する子会社の社長を歴任するなど営業畑を邁進してきた。退職後、株式会社シマニシ科研2代目社長に。

会社概要

株式会社シマニシ科研

〒169-0073 東京都新宿区百人町2丁目27番4号 第3吉原ビル6F

TEL:03-5338-7650

FAX:03-5338-7675

URL:http://www.shimanishi-kaken.com

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